子供の成長を祝う必要はないらしい

七五三って必要?2万円が飛んで僕は泣きたい! - たい焼き親子は空飛ぶ夢をみる

この人の葬儀もする必要はないし、この人が死んでも周りの者は悲しむ必要はないね。この人は、子供の成長を祝う儀式も必要ないし、子供の成長を祝い加護を与え、子供に成長の自覚を持たせることも必要ないと言うんだから。

 

意味も分からず形式的に物事を行い愚痴を言うなんて愚かとしか言いようがない。もちろんレンタル着物を借りなくてもいいし、写真撮影をする必要もないし、初穂料を払わなくてもいい。

ただ、子供の成長を祝う気持ちは明確に表現する必要がある。そして子供に対し、段階的に大人になっていっていることを教え、それを形にしなくてはならない。あなたは子が二十歳になってからいきなり大人になれと言うつもりなのか? それまではオムツでOKだと? もちろんそうではない、親は子の成長に相応しい装いと心を与えなければならない。

 

  • 数え年3歳(満年齢2歳になる年)を「髪置きの儀」とし、主に女の子が行う(男の子が行う例もある)。江戸時代は、3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終了する儀。
  • 数え年5歳(満年齢4歳になる年)を「袴儀」とし、男の子が行う。男子を着用し始める儀。
  • 数え年7歳(満年齢6歳になる年)を「帯解きの儀」とし、女の子が行う。女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀。

 

現代になって乳幼児の死亡率が大幅に下がったとはいえ、大人に比べて子供ははるかに死にやすい存在である。この人はそのことを忘れているのではないだろうか。

日本の子供はバカにされて当然

日本の子供はバカにされている。若者の投票率が低い理由をスウェーデンと比較してわかったこと。

日本の子供たちはバカにされて当然なんだよね。1972年のあさま山荘を筆頭に、トップレベルの大学のエリート若年層たちが喜んで極左テロに走っていったのだから。90年代のオウムのテロもトップレベルの大学のエリート若年層たちによって支えられていた。こういうエリート若年層たちはバカにされる「実績」があったのね。それ以外の普通の若者は今と同じで政治なんかに興味なく、遊び授業仕事バイトに忙しかった。

 

教育の力不足はもちろんあるが、極端に走りやすいこういう知的エリートを、ごく普通の「一般的に言えば頭の良くない」中年~老年サラリーマンたちが危険視したのは至極当然のことと言えよう。

このごく普通のサラリーマンたちが感じたのは、「人生、痛い目に遭って、恥ずかしい、情けない思いをいっぱいして、30後半になってやっとマトモな判断力が身に付きだす。20前後では暴走して当たり前」というごく普通の感想である。そして、その感想はだいたい間違っていない。

 

だから、こういう子供をバカにする姿勢というものは、あながち間違ってもいないと思うのである。

素晴らしい教育を受けた知的エリートの方々からすると愚かな知的後退なのかもしれないが、日本にスウェーデンの素晴らしい先進教育」を授け政治教育をしたとしても、また新たなテロ犯を生み出すだけに終わってしまうのではないかと、愚かな小生は思うのである。

結局のところ、人生経験に見合っていない知識だけを詰め込んでもテロ犯量産のシステムにしかならない。重要なのは「人生経験と知識のバランス」であると思うのだ。

 

さらに言えば面白いのは、日本でのテロは知的エリートでボンボンが起こすものであり、海外のように貧乏人が生活の不満から極端な思想に走るタイプとは違うことである。

日本では、素晴らしい教育を受け生活にも余裕のある層の方が極端な思想、テロに走りやすいのだ。だから、良い教育で政治に理解が深まるといった単純なものでもないのである。

 

カネを稼いで家族を養う生活をしたことのない者にはその重要性は分からない。金持ちには貧乏人の生活が分からない。貧乏人には金持ちの生活が分からない。こうしたことは特に若年層に顕著だ。しかし、ある程度歳をとってくれば、それぞれの立場に想像が及ぶ。ぶっちゃけ、選挙権なんて40過ぎでもいいぐらいじゃないかと思う。儒教は嫌いだけど、四十にして惑わずだろ。

狩猟民族が農耕民族のように生きることはできない

狩猟民族が農耕民族のように生きることはできない。狩猟民族は狩猟民族として生きればいいのだ。

ADHDに必要なのは薬で農耕民族的に生きることではなく、狩猟的生き方を学ばせることである。そしてもっと必要なのは、狩猟的生き方の先にある野垂れ死に対して覚悟を与えることである。

農耕民族はもう十分すぎるぐらいの数がいるのでこれ以上必要ない。必要なのは異なる生き方によって人類を破滅から救う奇妙な人々である。

もちろん、ほとんどのADHDは無意味な関心や情熱によって愚かな無駄死にをする。しかし、それでいいのだ。人類の2%程度の人々の無駄死にによって大きな可能性が掴めるなら人類としてはそれでいいのだ。

無数の愚かなことをするがいい。無数の無駄死にをするがいい。それ以外、いったい何をすることがある?

 

そして、これらADHDの欠点はくだらないことでもある。忘れてはならない些末事などは雇った人にやらせればいいからだ。ADHDはもっと重要で本質的なことだけ考えていればいいのだ。

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走る獣は、檻にこめ、鎖をさゝれ、飛ぶ鳥は、翅を切り、籠に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁、止む時なし。その思ひ、我が身にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり。

犯罪を推奨した方が秩序が保たれる例

【天才】新しい放置チャリ対策システムが凄いw | 2ちゃんねるスレッドまとめブログ - アルファルファモザイク

これは斬新。犯罪OKとした方が結果的に秩序が保たれるというのは他にもありそう。

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「貴族と奴隷の国」が、まるで「助け合いの国」のように見える罠

日本って本当に助け合いの精神が0に近い - 遊びまくる!

「助け合い」ってのはお互いにメリットのある相互扶助のことを言うのであって、一方にしかメリットのないことは「助け合い」とは呼べない。「施し」である。この区別がついてないと「施し」のある「貴族と奴隷の国」が、まるで「助け合いの国」のように見える。

 

アメリカが寄付大国である理由は、米国では慈善事業に寄付をすると税金の控除を受けられることにある。いわば一種の経費のように処理できるということだ。

ようするに税金で丸々消えるはずだったお金が減額されるのである。その減額はもちろん税金によっている。「金持ちが一般市民の懐に手を突っ込んでカネを集め取っている」と言われても仕方のない制度なのである。

しかも寄付先は選べる。キリスト教徒がイスラム教系支援団体に寄付しないように、自分が有利になる寄付先を選ぶことができるのだ。一番分かりやすい例で言えば、自分の息子が通う学校に寄付をすることである。もちろん息子はこれで非常に有利な立場になる。これが公平と言えるのか。むしろ金持ちに有利な制度だ。

それは「施し」どころか、実際には貴族が奴隷からさらに毟る社会なのである。一見利他的な「施し」には常に罠がある。それは格差の大きさの証拠であり、貴族の優位性が確保されている証拠でもある。

米国式の「寄付」が最善といえない理由 : J-CAST会社ウォッチ

 

一方、日本は「施し」を嫌う。お互いのためにならないと考える。だからお互いにメリットのある「助け合い」を行う。

 

助けてもらいたいものは、ただ「施し」を待っているべきではない。弱者は弱者なりに何か提供しなければならない。何も差し出さず、不機嫌そうに「もっともっと」という弱者に何かしてやりたいと思うか? お互いメリットを提供しあって初めて社会は全体が豊かになるし、弱者は弱者を脱することができる。

そうでない社会は、弱者はいつまでも弱者のままで「施し」を待つしかない存在だろう。「施し」のある社会とは貴族がさらに栄えることを前提としているのだ。

インチキ記事

kosotatu.jp

これはひどい記事。金を掛ける場合と掛けない場合では当然、金を掛けたほうが物事は良くなる。問題はいくらかかるかと、費用対効果だ。

 

この記事を見ると16倍の費用対効果らしく、費用対効果は良く見える。しかし目を疑うコストが掛かるのが分かる。教育プログラムにかかった費用は一人当たり約15,000ドル記事より引用。

1ドル110円と計算して165万円。これだけかけりゃ良くなるのは当たり前。15ドルの間違いなのかと見直しちまったよ。これだけ金をかければ安めの私立小学校には余裕でやれる。

全国私立小学校の授業料ランキング|私立小学校の学費

 

んで、3歳から11歳の子供は968万人いる。3歳から8歳の子供に限っても635万人いる。これらの子供すべてに165万円を与えろと?

3歳から11歳の場合だと968万人×165万円=15兆9720億円

3歳から8歳の場合だと635万人×165万円=10兆4775億円

統計局ホームページ/統計トピックスNo.82/全国

まるで「なんで軽自動車なんかに乗るんだい? F1マシンを買えばいいじゃないか」というようなバカな話だ。F1マシンの性能がいいのは当たり前、それだけ金を惜しみなく注いでいるからだ。でもそんな金がなければ軽自動車なりで済ますしかない。まあ少なくとも、税収が55兆円しかない国でできることではない。

 

さらに言えば、中所得以上の家庭の場合は支援をやめることも考えられるが、それはそれで大きな不公平感をもたらす。またそもそも子供のいる家庭と、子供のいない家庭や独身との不公平感が大きくなりすぎる。その辺のところもガン無視なのはやばいよな。

負けたら焼き土下座じゃない利根

www.tbs.co.jp

カイジがノーリスクで面白くなるはずないだろ。カイジに出てくる限定ジャンケンや皇帝ゲームは確かに優れたゲーム性を持つが、何も賭けないなら大して深い戦略性になることもないものだ。

つまり何も失うものがなければ、他人を実質的に殺すほどわざわざ裏切ったり騙したりしたりする必要がない。負けても残念程度でそこいらによくあるクイズ番組程度にしかならない。しかしそういうダーティプレイでもなんでもありでやるから面白いゲーム性になるのだ。

どっか法がユルユルな国で本当のカイジゲームやってくんねえかなあ。