「遊び」とは何かをよく理解している任天堂

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「遊び」とは何かをよく理解している任天堂。ガチャで大金を払って超低確率キャラを入手するのはギャンブルであって「遊び」ではないんだよな。ガチャの誘惑に負けずに「遊び」の本質を追求した任天堂はすごいと思う。

 

そしてよく誤解されることだけれど「遊び」というものは、何も勝敗や点数を競ったり、何かゴールのあるものばかりではないということだ。中には川遊びや山遊びや段ボール工作のように何も競わずゴールすらない、ただ感じるだけとか、ただ作るだけの遊びといったものも存在する。

そういう「遊び」の面白さを忘れずに作り続ける姿勢というものは意外に大事だと思う。だってガチャで強いキャラを入手して勝つことだけが目的なんてゲームばっかりになったら嫌でしょ。

お金が電子化しない国の貯金主義

本当にあったお金の怖い話|との|note

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日本人は借金が大嫌いで貯金が大好き。クレジットカードは借金だという認識がありカードの使用にすら及び腰で、その延長であらゆる電子決済のたぐいも金銭感覚がマヒするとして拒否反応を持つ人がかなりいる。

この金銭感覚のマヒを防ぐという現金主義が貯金大国ニッポンに繋がっているわけだが、消費が冷え込みすぎ経済が停滞している現状、むしろ借金、浪費どんと来い! ぐらいの勢いでキャッシュレス化していった方が経済にとっていいのではないだろうかと思う。

日本人の個人資産 - 平均預金額・平均金融資産などの貯金額 | はじめて個人年金保険

2人以上世帯における1世帯当たりの平均貯蓄額=約1800万円 中央値=約1050万円。

みんな溜め込みすぎ。

 

そうでなくとも国際的競争力を考えれば電子決済は非常に効率的であり不可欠である。今後は日本も電子決済にシフトしていかざるを得ないだろう。そこで重要なのは十分払える程度の借金や浪費である。そういう借金や浪費があった方が社会は活力を持って回る。

ここで問題なのは、自制心を持った借金や浪費を電子決済会社は望まないという部分にある。電子決済会社にしてみれば使えば使ってくれるだけ儲けになるので、「そろそろ使いすぎですよ」なんて警告はしてくれない。しかしこれは目先の利益しか考えないやり方であり、結局は損をするやり方だ。経済を効率よく回そうと思えば、消費者が安心して消費、浪費、借金できるよう、電子決済会社は「そこそこの借金、浪費」で手を打ち警告すべきなのだ。

 

ここまで書いていて思ったが、日本人は極端すぎるのよな。日本人は貯蓄マニアな一方で、世界トップレベルのギャンブル中毒国でもある。日本人は適度にカネを使うってのが下手すぎるんだよなあ。

ギャンブル依存症疑い320万人 厚労省推計、諸外国と比べ高く :日本経済新聞

これが本物のプロゲーマー

気になる棋譜を見よう1228(藤井四段 対 佐藤名人) by コロ ゲーム/動画 - ニコニコ動画

疑問手がないのに名人がジリジリ押されていく。すごすぎて理解不能やわ。

わがままな子には罪悪感を与えよう

甥っ子が承認欲求のおばけになっていく - やしお

この記事のように承認欲求で周りにわがままばかり言って認めてもらおうとする子供いるよね。大人でもジャギ様やアミバ様のように承認欲求の塊の哀れな人がいるから困ったものだ。

弟よりも認めてもらいたい哀れなジャギ様。

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天才なのに誰にも認めてもらえない哀れなアミバ様。

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んで、どうすればこういう子供をマトモに躾けることができるのか? という問題(もう大人になると無理なので絶縁するか北斗神拳で倒すしかないが)。

それには記事にあるように内省や他者への理解、承認が必要だが、そんな正論が理解できる子供であれば苦労しない。むしろ「自分を理解しない他者が悪い」と正論は余計な反発を生み出す。

 

ようするにこれは子供なりの「愛情があるかどうかの試し行為」であり、子供は自分を「愛されない者、被害者」だと認識しているから、「正当な愛される権利」のために躊躇なくわがままや暴言を振るうのである(わがままや暴言を吐いても構ってくれるなら愛情があるということだと子供は認識する。しかし親を含めて周りの人々は愛情や好意があってもわがままや暴言には辟易するだけであり、より子供は捻くれる)。

 

そこで自然に内省や他者への理解、承認をもたらすものは何かというと、罪悪感がベストではないかと個人的に考えている。わがままで他者を道具としてしか見ていないような子供が他者について考えるきっかけは何が一番かと言うと、理性的で合理的な思考ではなく、他者にひどいことをして本人の許容量を超えた自責の念に駆られるときである。

 

しかし日常だと周りの者は大人であるので、子供がわがまま放題であっても本当に困ることはまずない。なんだかんだで子供のわがままを優しく受け止めているのでさらに悪循環になる。だから、そこで本当に困ってどうしようもなくなった姿を見せてやればいいのだ。たとえば子供のわがままで事故や火事や破産が起こって大事になれば、その子供は相当おとなしくなり、何をすればどうなるのか、何が迷惑なのか、他者はどう思うのか考えるようになるだろう(これでもダメならどうせシリアルキラーまっしぐらだから諦メロン)。

 

分かりやすい例で言えば、暴言を吐いて他者が首でも吊ったらその子供は暴言について考えざるを得ない。もう他者が悪いとか安易な言い逃れはできない。それは「自分が行ったことで後戻りできない残酷な結果が発生することがある」と、罪悪感によって知ることである。だから子供がわがままを言って認めてもらいたがったら、本気で困って回復不可能なダメージを受けたとアピールする必要がある。だから子供のわがままに従って軽い事故でもわざと起こして傷ついた姿(へこんだ車とか物理的に分かりやすいもの)でも見せてやればいい。

 

そうして自分は他者に大きなダメージを与えているということを子供自らが理解して、初めて自省へと繋がっていくのだ。

 その上で、子供が反省して気遣いなどを見せたら評価、承認をしてやればいいのである。

 

(こういう子供は自分がひどい扱いを受けているので他者にもひどい扱いでOKだと思っている。しかし実際には、わがままで迷惑というのはその子に対しての正当な評価であり、その子供が他者へひどい扱いをしているのとは雲泥の差があるというギャップをその子自身が実感できなければならない。だからまず必要なのはその子への承認ではなく、その子の行動のひどさをその子自身で理解できるようにすることなのである。被害者意識に陥った子供に対していきなり承認を与えても(何か褒めたりしても)その子供はまだまだ全然足りないと思うだけだ)。

意味も目的もない生と世界

少女終末旅行 | くらげバンチ

こういう意味も目的もない生と世界をさまよう作品はいいね。

ロジックゲームでのエンタメ

将棋ネタでラノベ原作のアニメ「りゅうおうのおしごと」が始まったけど、ラノベ(アニメ)よりも羽生善治の方がずっとチート主人公で無双しているのでラノベ(アニメ)の方が霞んでしまうという面白い事態に。

 

しかし将棋みたいな純粋に実力勝負で都合のいい要素が入らないテーマがラノベに合うのか疑問だな。

普通の勝負、競技モノマンガやラノベはハイレベルな攻防を感覚で伝えるように演出する。それはハイレベルな攻防が素人読者には分からないのはもちろん、作者も想像でしかハイレベルな攻防を扱えないので取られる演出法だが、将棋のようなロジックゲームは時間さえかければ中学生でも最善手、悪手というものが分かってしまうので、感覚的、ファンタジー的な演出というものが取りにくい。つまり作者の競技レベルがそのまま反映されてしまうのでエンターテイメントとして難しいのである。その部分をどうするか、そのやり方だけは興味深い。

ビット文学とウィリアム・バロウズ

cruel.hatenablog.com

これが人の手の触れないビット文学か。むしろバロウズはAIだったのかもしれない。

バロウズは言葉の制約を乗り越えることで現実の制約を乗り越えようとしたけれど、AIは文字通りそれを可能にし、現実を塗り替えるのかもしれない。

 

機械がまるで可能性に挑戦するかのように様々に奇妙なことをやるのは、ある意味当たり前のことである。要素たちにごく単純なルールを与えただけでも無数のランダムなパターンが生まれるからだ。しかし重要なのはそのようなランダムなカオスではなく、複雑性の高まるカオスの縁で秩序と様々なパターンが入り乱れる部分にある。

カオスの縁 - Wikipedia

生命においては淘汰圧が働き環境に適応できないパターンはどんどん削除されていく。AIは未だマトモな淘汰圧に晒されたことがないので、これからも奇妙なパターンを無数に生み出し続けるだろうが、そのほとんどはラリったジャンキーの意味不明な呟きと同じだ。今後、AIに淘汰圧を掛けていったい何が残るのか、その中で残る秩序とカオスの狭間の部分こそが重要だ。