「華氏451度」のTシャツ

https://www.hayakawabooks.com/n/n4da9727bf99c

華氏451度」のTシャツを儒者に着せてみたい。華氏451度とは、言わずもがな紙の燃える温度。

「ほと」について

togetter.com

この「ホトカミ」ってサイト名称、大丈夫なんかな。「ほと」って古語で女性器の外陰部を指す言葉なんだが。こういうサイト作るなら知らないはずないだろうし、まあ確かに神々はみんなイザナミのおまんこから生まれてるんだけどさあ。

 

「ほと」は「蕃登」「火処」など様々な漢字が当てられる。火とは血(経水)のこと。

蕃登とは - 隠語辞典 Weblio辞書

世の中のご両親のみなさま。響きがいいからといって「ほと」「みほと」という名前を付けるのはやめようね! おまんこちゃんという意味になっちゃうよ!

名前:穂都(ほと)

でも考え方によっては、現代が女性器を恥ずかしいものとして忌避しすぎているとも言えるな。古事記では美蕃登(みほと)とあり堂々と美しいものとして表現されていた。全国いくつもの地名にもある「保土」は「ほと」、女性器の特徴やイメージから来ている(横浜の保土ヶ谷など)。昔は恥ずかしいものでは全くなかったということだ。

まあ、みんなおまんこから生まれてきているのに、現代ではおまんこに敬意がなさすぎるとも言えるね。

 

以下は主に古事記から。

ほと - Wikipedia

亦名謂火之迦具土神因生此子

またの名を カグツチノカミ と謂う子でしたが、この(火の神の)子を生んだことによって、

美蕃登見炙而病臥在

イザナミの)ミホト(=美しい女性器)は火傷してしまい、病気になって伏せてしまいました。

 

また神武天皇の皇后(ヒメタタライスズヒメ)は元の名を富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)という。

これは矢に化けた大物主神に皇后の母のほとが貫かれて生まれたから。なんつーか、おまんこを神が化けた矢で貫くとかエロマンガもビックリですな。そして娘の名前に「ほと(富登)」を入れちゃうとか古代日本の支配層はオープンすぎる。

【古事記を彩る姫たち】イケスヨリ - 「ホトと呼ばないで!」神武皇后の出生譚とは? - 神社と古事記

人造美女を賭けて鬼とバックギャモンをする1000年前の想像力

長谷雄草紙 - Wikipedia

平安期の文章と言えば源氏物語のような恋愛モノや、ブログ的な随筆である枕草子など、思ったよりも現代の感覚で理解しやすいものが多い。

しかし一方、現代のSFの先駆けともいえるようなぶっ飛んだ意味不明の奇譚も意外に存在するのである。それが今回紹介する長谷雄草紙(はせおぞうし)。

 

これはフランケンシュタインのように人工的に作られた美女を賭けて、鬼とバックギャモンで勝負するという、なんとも奇妙奇天烈で想像力の塊のような作品である。

1000年も前の作品でありながら、そこには科学的な夢(人工的に素晴らしい人間を作れるはずという考え)もあれば、鬼という魅力的な異形との息詰まる勝負のエンターテイメント性(当時の鬼は話の通じないモンスターではなく、未知の技術も持てば笛もたしなみ、人間と対話や賭け事もする存在であった)もあり、そこに当時の人々の日常を超えた世界への恐れと憧れ、想像力を見ることができる。

 

翻って現代は様々な技術が発展しているはずなのに、人々は目先の損得や誰それが好き嫌いといったせせこましいことばかり考えている。現代のブログのたぐいを見れば損得の話(政治経済含む)、恋愛やしょうもない対人関係の話が99%じゃなかろうか。そういうのもまあ悪いとは言わないが、俺はそれよりも未知の世界に心躍らせるような想像力の塊を見てみたい。

男が愛してやまない女トップ3

男が愛してやまない女トップ3はどんな女であるかというと。

3位 娼婦。

2位 狂った女。

1位 人妻。

 

解説するのも野暮なものだが、ようするに男は手に入らない女ほど渇望するものである。

娼婦は誰の女でもあるので手に入らない。

狂った女は我々とは違う在り方をするので手に入らない。

人妻は言わずもがな、他人の女である。

 

なぜか華倫変を思い出す

【MV】般若心経 cho ver. (Heart Sutra cho ver.) [short mix] / 薬師寺寛邦 キッサコ (Kanho Yakushiji Kissaquo) - ニコニコ動画

般若心経を聴くと、なぜか華倫変の「カリクラ」第4話「桶の女」を思い出す。

 

「桶の女」のあらすじを述べると、最下層で頭もよくない遊女が性病で孤独に死んでいくという、ただそれだけの話である。救いも教訓も何もない。あえて何もない茫漠さを突き詰めたような作品である。詳しくは下記参照。

荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載24) - 清水正ブログ

 

般若心経を聴くと、いつもそういう茫漠さにとらわれる。もちろん、それは般若心経の内容とは関係ない。ただ我々は何も考えず、関係性のあいだをうつろい、死ぬだけである。そういう思いがなぜか湧き上がる。

ゼロ記号と仏教の空について。または2世紀の記号論。 - Ohumigarasu’s diary

特権的セクシャリティの崩壊

mato-liver.com

これは面白い。テクノロジーがどんどん進み、これまで持つことができなかった異性の価値や美点を得ることができるようになっていった未来はどうなるか示唆している。

 

当たり前だが、これまで女は女の、男は男のセクシャリティしか楽しむことができなかった。たとえば「女の可愛らしさ」は女が特権的に持つ価値であった。そうした特権的な価値を「女でない者が持つ」としたら、その世界では何が起きるのか。

 

そこでは「女よりも女らしい可愛らしさ」が発生し、それに対し「女が嫉妬」するのはもちろん、「男もその可愛さを得ようと嫉妬」するという面白い事態が発生する。人々はどんどん実在性(実際の肉体)からデータだけの概念的なものになっていき、そこでは簡単にデータの取り換えによってセクシャリティも新たなもの「女よりも女らしい何か」が生まれていくのだ。

 

しかし実はこういった事態は大昔からあるものである。歌舞伎の女形、京劇の女形は役者の意地を賭けて、実在性を超えた演技の可能性を追求してきた(宝塚の男装もそうなのかも? こちらはよく知らない)。少なくとも、そうした存在は役者の自己満足ではなく、広く大衆に支持されたからこそ現代にまで残ったのであろう。女形を見て気持ち悪いとか性的倒錯だという人は少数派であったのである。

そうした可能性は今後もどんどん先鋭化していくことだろう。

http://spoiledlab.com/blog/wp-content/uploads/2013/10/mbutterfly.jpg

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/510I2u9xw4L._SX351_BO1,204,203,200_.jpg

みんな大好きセイラム魔女裁判

セーレム魔女狩り博物館を訪問します!【 魔理沙の交通マニヤ旅行記 ニューイングランド編11】 - ニコニコ動画

セイラムには魔女裁判の博物館がいっぱいあるんやね。これは知らなかった。黒歴史もいいところだが、今じゃ立派な観光名所というわけか。日本でも津山三十人殺し記念館とか百姓一揆打ち首獄門記念館とかやってくれねえかな。

セイラム魔女裁判 - Wikipedia

記念撮影用の板枷が置いてあるのもポイント高い。下記のような感じのやつ。これで誰でも簡単に壁尻プレイみたいなのができるね! 俺は壁尻プレイが大好きなんだよ! やったね、たえちゃん!

http://img-cdn.jg.jugem.jp/f29/552947/20090610_487835.jpg