誰も別に君の主観など見たくはないのだ。 伝える技術について。

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なぜJPOPがこうも似たものばかりになってしまったのかと言えば、
抽象的で主観的な歌詞しか描けなかったからである。

これは例えれば、何か感動的な物事があったとき、すごい、すごいを連呼することしかできない中学生のような主観的描写と言い換えることもできる。

もちろんこれでは何がすごいのか分からないし、想いの強さがすごいとか、切なさがすごいとか、 震えたとか、「抽象的な」付け足しをしても、それは相変わらずその人の主観であるので結局のところ、聞いてる側からすれば、「ふーん、へー」で終わってしまう物事である。

もちろん作詞家はプロなので、その辺りのことも分かって聞き側のレベルに合わせているし、とにかく曲を量産していく上でこれほど楽な方法もないので採用しているのだと思われる。

作詞家の目的は売れるものを書くことであり、別に共感などいらないからこうなってしまうわけだが、では共感を呼べる真正な伝える技術とはいったいどのようなものだろうか。

それは具体的に、客観的に描き、読者に想像させるという書き方である。誰も別に君の主観など見たくはないのだ。

具体例を挙げてみよう。
「古池や、蛙飛びこむ水の音」

この有名な芭蕉の句は、5,7,5のたった17文字に、恐ろしいほど怜悧なテクニックが凝縮されている。

気付いただろうか。この句には主観もなく、音を表すワードしかないのに、それが逆に寒々しいまでの静寂と寂寥感を伝えているのである。

もし芭蕉が主観でもって、「いやーこの辺マジ静か、ちょー静かで寂しい」と言ったら、これほどの静寂は決して伝わらなかったであろう。

蛙が水に飛び込むという、普通なら聞き逃してしまうほどの小さな音以外何も聞こえない空間、つまり圧倒的に静寂で孤独な空間、これを客観的描写で読者に想像させえたから、この句は不朽の名作となったのである。

これと同種のテクニックは特に広告の世界で多く目にする。有名なアップルの広告などもこの戦略に基づいていて面白いが、それはまた今度語ることにしよう。
(いい歌詞がストレートに愛だの恋だの言わないように、アップルの広告も高性能や安さを訴えたりはしない。アップルが訴えるのはライフスタイルである)。