聞け、ゾンビー。俺を信じろ。なにから話してやろう?

ティプトリーがすげえ美人で驚いた。

ティプトリーという作家は、重要なヒロインほど醜く描く。
そのヒロインは醜さゆえに世界に受け入れられず、孤独である。

しかし奇妙なことにその醜い姿は、飛び抜けた美人で才女で、何一つ欠点のなさそうなティプトリー自身の孤独と重なってくるのだ。

別の作家の小説だが、「町で一番の美女」という小説がある。

あまりに美しすぎたため、誰もがその容貌しか見ず、心を見てもらえないことに絶望した女が自殺する話である。

この美しい狂女はティプトリーを思わせるところがある。

目を見張る美貌も、優れた知性も、鋭い感受性も、そのどれもが醜いことと同じか、それ以上にティプトリーを孤独へと追いやるものにしかすぎなかった。 

 

これは贅沢な話ではない、悲惨な話だ。優れすぎていると醜いことと同じように周囲の理解はなくなっていく。

 

結局、彼女は正体を隠し男性名義で小説を発表するしかなかった。彼女の野性的な文章を見て、誰もがヘミングウェイのような孤独で精悍な中年男性が作者だろうと想像した。誰も彼女が50過ぎの同性愛の傾向のある中年女性だとは想像しなかった。

そうして文章の中でだけ、彼女はひと時の理解を得ることができた。

しかし、ティプトリーの描く主人公はある一瞬だけ孤独が癒されることもあるが、ほとんどが悲劇的な最期を辿る。

彼女ほど、性や人間性や、人間が物質であることから逃れようとした人はいなかったが、彼女自身、その結末がどうなるかは知っていた。

(「接続された女」では肉体から逃げようとし、「愛はさだめ、さだめは死」では本能から逃げようとした)。

 

もちろん、人間がこれらの制約から自由になれるはずがない。純粋な精神性などありえないし、だれもそれを見ることはできない。そして結局、彼女は銃で自らの頭を撃ち抜くことになった。


どうか彼女の孤独な魂に、最後の安らぎが訪れたと信じたい。

ジェイムズ・ティプトリー・Jr. - Wikipedia




(余談だが、男の劣情を引く女性の順番として一姦二狂三娼という言葉がある。一番が他人の妻で二番が狂った女で三番が娼婦だという意味だ。

つまりは、男は「手に入らない女」にほど惹かれるわけである。そういった意味でティプトリーは、狂った女、男たちの知らないどこかに逃げていく女としての魅力に溢れていた)。