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平等意識の進んだ30年後

平等意識(人権意識)の進んだ30年後はきっとこうなっているだろう。

 

ブサイクは障害だから保護されるべき!

面接での加点は当然で、ブサイクに告白されたら付き合うのが義務!

 

これがネタで済むならいいんだが。

我々はすでに、運動会でみんなが一等賞というディストピアに住んでいるので笑えない。

(そういや世にも奇妙な物語で「美人税」って話があったな。あれは面白かった)。

 

日本の平等は、相撲の平等である。

体重100㎏の力士が体重200㎏の力士と戦うことも平等、公平であると見なす。

 

それは誰にでも参加のチャンスが保障されていることが大事(機会の平等主義)で、能力も結果も問わないという考え方である。

ルールは最初から明示されているのだから、ルールに異議のあるものは参加しなければいい、一旦参加した以上はルールさえ守れば体重100㎏だろうが200㎏だろうが対等な存在として戦うことが平等、公平であるという思想である。

 

またこれには、生まれ、経済環境、肉体、そういったもの全てを含めて自他の違いはあって当然、違いをなくすことは不可能だし、違いがないなら競争や関係性を結ぶ意味などなくなってしまうという考えが根底にある。

 

これは、参加する意思、戦う意思のある者に対する敬意でもある。体重100㎏の力士じゃ勝てないからやめとけ、なんて絶対言わない。相手がどんな弱者でも強者でも関係なく一人の戦士とみなして力を尽くして相手する。それは単なる平等ではなく敬意である。

 

一方、欧米の平等は、ボクシングの平等である。

ボクシングは細かく体重別に階級分けされ、50㎏の者は同じ50㎏の相手と戦う。50㎏の者と100㎏の者は決して戦わない。

 

ここにあるのは結果の均等性を重視する、結果の平等主義である。体重100㎏の者は50㎏の者より肉体的に優れ、勝って当然なのだから戦わせるのは不平等だと考える。

また、本人の努力ではどうにもならない点があれば、かさ上げしたり、他の恵まれた者にハンディキャップを設けたりもする。これも結果の平等を求めるがゆえである。

 

そこには精神以外の個人の能力差をすべてなくしたいという欧米の欲求がある。

生まれ、経済環境、肉体、そういった物理的なものの差を全てなくし、精神のみで競ったり関係性を結ぶべきだという考えが根底にある(まんまプラトンイデア論である)。

 

これについて、どちらが正義だとか言うつもりはないが、

俺は相撲の平等が好きだ。戦士には敬意が払われるべきだ。

プラトンイデア論は反吐が出る。