デジタル万引きが示唆する未来

デジタル万引きとは、本屋で本の内容をカメラに写し無断で複写する、データ窃盗である。

 

ここで思うのは、立ち読みで多少なりとも記憶した瞬間、そこに情報の複製は行われているのだが、ではあなたの頭の中にあるその情報は誰の物なのか? という問題だ。

 

ようするに、カメラで本をデジタル万引きするのと、 立ち読みで丸暗記するのは、根本的なところでは何も変わらないという問題だ。

 

そう遠くない未来には、テクノロジーによって記憶の増大や目にカメラ埋め込み、さらには記憶を他人と交換したり売買したりといったことも行われるだろう(記憶もデータにすぎないのだから)。

 

そうしたとき、もう『自分の記憶』であっても自分が所有権を有しないといった事態が起こりうることをこの問題は示唆している(例えば、未来では記憶に基づき本の内容について話すのを禁じられたりするかもしれない。それは本の内容を他者の脳に違法コピーしているのと同義だから)。

 

そうしたときに現れる「わたし」とは、いったい何者であるのだろうか? そもそも人間は日々、模倣子という他者に感染していて純粋なわたしなど存在しないとも言えるが、テクノロジーはそのことをさらに明瞭な形で指し示すようになるだろう。

 

現在のデジタル万引きは、本屋が無料コンテンツと有料コンテンツの区切りができていないことに由来しているが、いったい価値あるものについて無料、有料すべて綺麗に区切りできるものなのだろうか?

 

そのうち、美人を見ただけで課金請求される時代になるのかもしれない。