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経験人数100人ぐらいは男女ともにごく普通

モテない人とか異性を諦めてる人のことを草食系っていうけど、逆だよね。

草食動物は群れるもの、肉食動物ほど単体行動をするんだから、異性に関わらず単体行動してる人は肉食系と呼ぶべき。

 

技術が発達すればするほど、1人で生きるのが楽になる。村のような共同体に助けてもらうことも減って、人に気兼ねする必要も減っていき、単体行動が増える。

 

そうして共同体が崩壊して、その代わりに個々人が契約だけで結ばれるようになった。

それはそれで必然の流れだし、そう悪くはない。

 

ただ、契約というものは、一人で何でもできるようになった個人が行うべきことであり(本当の意味での成人)、能力が未成熟では問題が出る。

 

多くの人々が異性付き合いについて問題を感じるのは、異性付き合い能力が教育されず、未熟なままで契約社会に放り込まれてしまうからではないだろうか。

 

そう、かつて村のような共同体がやっていた教育に比べ、現代の教育には大きな欠落がある。それは性、異性についてまったく実地教育をしていないという点だ。

 

今の異性に関する教育は、車の教本を見て、1時間シミュレーターに乗れば、車の運転がもうしっかりできるというようなレベルのものだ。これでは事故が起きる方が当たり前だ。

 

セックスはもちろん酒や運転、仕事といったものは、危険だが魅力的で生きるために必要なことである。

そして危険なことほど実地経験で学ぶしかないということを現代の教育は忘れている。危険なことほど、大人が大人の責任として教えなければいけない。

 

酒をどこまで飲めば吐いてしまうか知るのは大事なことだし、それは実体験でやるしかない。もちろん危険なことだから、経験豊富な大人が教えてやる必要がある。

 

異性付き合いやセックスも同様である。昔は最低でも14歳なら元服であり、信頼できる経験豊富な大人のお兄さんやお姉さんが実際にセックスさせてやって、異性付き合いのマナーややり方も教えてやった(昔はセックスと恋愛は完全に別物と考えられていたので問題なかった)。

 

そうしてから同年代の多くの異性とセックスや付き合いをさせてやって(若衆組や娘組がいろいろ配慮してやった)、経験と人間的魅力を磨かせて、その中から心身ともに相性のいい相手を選ばせていったのである。

 

もちろん、昔がすべて良かったなんて言うつもりはないが、

今の教育は性を神聖視しすぎ、過保護すぎてダメ人間を量産しているということは疑いのない事実であろう。

 

ちなみに明治期ぐらいだと、経験人数100人ぐらいは男女ともにごく普通なこと。100人達成で村でちょっとしたお祝いしていた。さらに滅多にないことだけど、1000人達成する猛者もいて、そのときは村で盛大に祝ったという。

 

それは性の技術があるだけでは多くの者に相手はされない、人間的魅力があって初めて多くの者と交わることができると考えられていたからである。

 

それは仕事や他人への配慮もきちんとできない単なるセックス上手とか、口先だけの口説き上手じゃダメだという点まで教育していたわけで、大人が大人の責任をきちんと果たしていたんだな、と思わされる。

 

それにしても、わずか100年ちょっとで大きく変わってしまったものだ。