生の実感を得るには、戦争が効率的な方法

村上龍の「5分後の世界」を読んだ。

内容はいつもの村上龍節というか、生の実感はどうすれば得られるのか、どこにあるのか、といったものだが今作は設定が面白かった。

 

戦後日本は米英中ソに4つに分断占領され、日本は国連軍に対して泥沼のゲリラ戦を展開しているという世界。その平行世界に、いま我々が生きているこの平穏な日本のチンピラが迷い込むという、もう一つの日本モノだ。

 

こういう設定だが、政治色はだいぶ薄い。それは作者のテーマが政治ではなく、あくまで個人の「生の実感」とか「誇り」に根差しているからである。

ようするに、「生の実感」が希薄化した現代日本人が内戦バリバリのシリアや南米のような国に放り込まれたらどうなるのか、それがもう一つの日本だったら、といった思考実験的な小説だ。

 

んで、本書の良し悪しはともかく思ったことがある。

 それは、多くの人が生の実感を得るには、現代では戦争が効率的な方法だということだ。

 

まあ、他に方法があればそれに越したことはないんだけど、単なる事実として戦争は死に極めて近いので、結果的に人に覚悟と充足をもたらしやすい。

 ハイデガーの頽落じゃないけど、死への先駆的な了解(覚悟)は必要なものだ。とはいえ、大病にでも罹らない限り凡人にはこれがなかなか難しい。

そして戦争は生の実感においては効率がいいが、その他の部分で非常に効率が悪いのがまた問題だ(まあ、必要になったら戦争もやらなきゃいけないが)。

 

うーん。生の実感と大量の人命経済その他と両立が難しいな。

もういっそ、脳のドーパミン調節で生の実感持たせたり、人工記憶で生命の危険に陥ったことがあると思い込ませればいいんじゃね? それが偽りだと気づいたら、また前向きに自己責任で生きられるだろうし。