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共感という危険性

共感は人々に連帯をもたらす可能性であると同時に、自己保存にとって大きな危険性を持っている。

 

簡単に言えば、共感を持てば他者を殺せなくなってしまうからである。

死の恐怖がないならばいくらでも共感してみんなハッピーで済むのだが、人類は常に死の恐怖と隣り合わせにある。

 

ようするに飢え死にの危険でもあれば、おとなしく死ぬのか、それとも他者を殺して食べ物を奪ってでも生き延びるのかということである。

 

だからほとんどの者は血族以外の者に対して真剣な共感を抱かない。アフリカの子供が飢えてもどうでもいいように他人事で済ませる。同じ人間だからと共感して助けようとは思わない。人はほとんどの他者に対して敵か味方か判断保留をする(どうでもいい相手とみなす)。

仮に味方だとしても本気の一蓮托生ではない。いくら仲が良くても1億円の連帯保証人になる人がほとんどいないようにね。いつ裏切られてもいいようにしておく。

 

そうして共感しないようにしておかないと、いざという時に殺せないからである。

最後の食べ物を奪い合う時、おとなしく譲って死ぬ人はほとんどいない。相手に恨みはないが死んでもらうと思う人がほとんどである。そうして戦うとき、同じ人間だからとか仲間だとか共感してしまうと殺せなくなる。だから共感もせず、同じ人間だとは思わない他者がほとんどになる。

 

分かりやすく例えるなら、普通の人は動物はかわいいと思うが、牛、鳥、豚でも普通に食べる。自分が生き延びるために殺すことをごく普通に肯定している。しかし、極端な動物愛護主義者は動物に共感しすぎていて、食用の家畜や害獣を殺すことすら認めない。

 

だから共感は無条件に良いこととも言えない。共感はそういう風に、どこかできっぱりと区分けして、殺すことを肯定しないといけない側面も持っている。