若者ほどマトモになる日本

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若者ほどマトモになる日本。もしかしたら日本の未来は明るいのかもしれない。

まあ、文化大革命しちゃった某国とか歴史遺産がなくなって悲惨なことになってるしね。

若者ほど雇用という現実を見なければいけないので、何がマトモな現実主義なのか理解している。そしてそれは雇用、経済に留まらず、文化や安全保障などでも如実に表れている。

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そして元号であるが、これはその始まりからして歴史的に大きな意味を持っている。

始まりの元号大化の改新で有名な「大化」であるが、これには様々な歴史的な意味がある。645年の大化の改新は単なる政権交代ではなく、外交上の大きな意味も持っていたからである。

 

それは607年の第二回遣隋使から始まる。これは当時の超大国であった中国(隋、618年以降は唐)への大きなメッセージであったからである。

第二回遣隋使において、有名な「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」のメッセージが送られる。これはようするに中国(南北朝南朝)に朝貢していた倭が、後継の隋(南北朝北朝の隋による統一で終焉)に対して朝貢による承認を求めず、倭は中華秩序から離脱するという宣言であり、今後、隋と倭は対等な関係であるという宣言である。

 

だから、大化の改新から倭独自の元号を使い始めたというのは、中国の天子による冊封体制には従属しない、倭は独立国であるという意味である。元号を制定する権利は皇帝にのみ存在していた当時の冊封体制にあっては、皇帝とは中華皇帝(天子)であった。しかし、倭はこれに公然と反旗を翻し、独自の皇帝(天皇)のもと、独自の元号を使い始めた。これは独立国としての意識の高まりを示すものに他ならない。

また7世紀後半に倭から日本という名称になっていったのも同じ流れである。

 

もちろんこれは中国と即全面対立といった意味ではなく、大化の改新の外交面でも唐へは遣唐使を派遣して友好関係を保ちつつ、中華文明の先進的な法制度や文化の輸入に努めていた。

しかしこの頃から朝鮮半島南部の情勢は混迷を深め、やがて倭と唐は半島南部の権益を巡って対立。さらに660年の唐による百済滅亡を経て、663年の白村江での戦いとなる。そして倭はこれに敗れたことにより朝鮮半島南部での権益、影響力を失った。しかしこれは独立国だからこそできたことである。従属国であれば何もできず権益を失っただけだっただろう。

結果的に白村江の敗戦は倭国内部の危機感を醸成し、日本という新しい国家の体制が急速に整備されていくこととなった。この後、日本は唐と距離を置きつつ友好関係の構築に成功し、日本は独自の道を歩んでいくこととなったのである。

 

このように元号ひとつとってみても、歴史的に大きな意味合いがあるものである。元号を捨てるということは、独立宣言を捨てるに等しいことなのである。