少数者が生きにくいのは当たり前

少数者が生きにくいのは当たり前。昨今はとにかく少数者の価値観を尊重しようという雰囲気だが、これはあまりに規範の重要さを軽視した主張にも見える。

 

それは「規範」が、上からの押しつけのようにして成立したものではなく、実は「多くの人の願望」によって成立したものという事実を忘れているからである。もちろん規範が無条件にいい方法ではないし、時代により移り変わっていくのも事実である。

しかし、この「多くの人の願望」を否定、無視しては何も変わらないのが当然である。だからもし少数者が規範を変えたいと願うなら、「多くの人の願望」を理解し、「多くの人が願いたくなる新しい価値観」にスライドさせなければならない。

 

だから少数者が訴えるべきは「多様性の正しさ」とか「マイノリティを許容する社会」ではない。多くの人が持つ規範は間違っている、少数者を受け入れろと非難するやり方では少数者は少数者のままだ。少数者がやるべきことは「多くの人々の中に眠る願望」を発掘するべく、「少数者が持つスタイルの魅力を発信すること」である。

 

逆に言えば、人間は欲望に正直なので本当に魅力的な物事は多くの人が認めるのである。たとえば同性愛は代表的な少数者であるが、古代ギリシャや戦国、江戸期の日本のようにこれを肯定的に捉えた社会もある。女装だって、歌舞伎の女形や京劇の女形のように、現代でも価値ある存在と認められている。

 

面白いのは、一般人が女装しても気持ち悪いで終わってしまうが、歌舞伎や京劇の女形は美しいと思われることである。そこにあるのは果たして単なる権威主義なのだろうか? おそらく歌舞伎や京劇の女形も登場した当初は異形であっただろう。しかし、役者たちは「女よりも女らしい美しさを演じる」という確固とした信念があった。そしてその魅力を発信し続けたのである。だからそれは認められ、長い年月を耐え抜いたのである。