理念で欲望をコントロールしようとすると

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キリスト教原理主義も怖いけど、それに反対する人々もまた奇妙で怖い。堕胎を巡って殺人事件が起こる国ならではのナンセンスなやり取り。つまり両方バカ。

 

子供ができたとき問題となるケースは、大きく分けて3つある。

強姦の結果である場合。

障害児だった場合。

食わせていけない環境だった場合。

これらの現実に対して理念や道徳で対抗しきることは不可能であろう。問題は別の形で現れるだけである。

 

日本は歴史的に堕胎、子殺しに寛容だったんでこの辺の感覚は理解しにくいな。日本の場合は7歳までは子供は神様のもんで、死んでしまっても、生活のため乳児を殺すことになっても仕方ないこと、問題のないこととされてきた。つまりそれだけ生産力のある者(親)の論理で動いていた社会だった。親子共倒れにならないよう、村に余計な負担が掛からないように、生産者(農作物から子供まであらゆる生産)の現実が考慮されていた。そうでなければ村中、全員が共倒れに終わる危険性があったからだ。

もちろん村人にセックスを我慢しろ、理性で抑え込めとも言えない。昔は娯楽が他になかったし、性的欲求は食欲と同レベルの当り前の欲求で抑え込むことは不可能という認識だったからである。

 

ここに西洋と日本で大きな違いがある。性欲を理性でコントロールしきれるかという問いに西洋はイエス、日本はノーという回答をしたのだ。

私としては、この日本の回答の方が現実的で理念倒れに終わらないいい方法だったと思う。それは倫理じゃない、非人道的だとも言えない。それはそれで一つの倫理なのである。