エロ動画を見ていたら演出方法が800年前と同じでワロタwww

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その演出とは、女性がその日に関係した男の数だけ手首に輪ゴムをはめるというもので、一見普通の姿でエロと関係のない場面なのに、輪ゴムの数で淫らさが分かるという演出方法だ。

 

実はこの演出は1200年ごろの『八雲御抄』の中に出てくるいくつかの奇祭にも見られる、実際にあった演出方法である。まあ、日本は昔から歌垣とか乱交が当たり前の社会だったので当然と言えば当然だが、実にうらやましけしからん。

それらは天下の五奇祭と呼ばれており、以下の通りである。

洛北大原社の雑魚寝(井原西鶴好色一代男で有名。さすがに明治で禁止された)、

江州筑摩社の鍋かぶり祭(形骸化しているが現代でも残っている)、

越中鵜坂社の尻叩き祭、

常陸鹿島社の常陸帯の神事(形骸化し単なる安産のお守りになったがこれも現存)、

奥州の錦木。

 

どのようなものかと言えば、鍋かぶり祭りにおいては、女性はこの一年で関係した男の数だけ鍋を頭に被るのである。尻叩き祭りでは同様に女は一年で関係した男の数だけ尻を叩かれる。雑魚寝では関係した男の数だけ足に紐を結ぶ。

 

これの面白いところは、これが女性の自発的な参加によるものだったということである。これは決して強制や罰でやらされたものではなく、また女性は娼婦でもなく、ごく普通の一般女性が祭りを盛り上げるために一年の経験人数告白をしたのである。

 

現代の常識では考えられないことだが、その当時の女性は貞操観念ゼロで村中の者と関係を持つのが当たり前だったので、これを別に恥だとか罪悪だとか屈辱だとか思わなかった。むしろその逆で、経験人数の多さは自慢だったのである。

 

現代人に分かりやすく例えると、告白された人数の多さを自慢するようなものだろうか(これは現代女性でもある)。現代でも男は経験人数の多さを一種の自慢とするのに近いか。

当時の女性は、多くの男と関係できたのはそれだけ自分が魅力的な女だという証明だと思っていたのである。当時の女性からすれば、本当に恥や屈辱なのは一年で経験人数ゼロという場合である。それは男に全く相手にされない魅力のない女という証明だからである。この辺りは、現代でいい歳をした男が童貞だったら恥、屈辱だと思うことに似ている。そしてもちろん、一年の経験人数が多かった女性はそれだけセックスアピールすることができ、さらに男を選ぶチャンスが広がるわけである(経験の多い女を嫌がる男なんていなかった)。

 

それにしても、昔の大和撫子たちはとんでもなくエロかったものだ。現代でもこれぐらいエロければ少子化なんて一発解決なのにな。我々の常識というものも、時代時代の移り変わりの中で眺めてみると実に奇妙なものである。100年後の人々はきっと我々の姿を理解しがたい奇妙なものとして見ているのだろうな、とふと思う。