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資料のひとつ

教育勅語を資料の一つとして教えることの何が悪いのかわからん。単なる知識の一つで、それを知らなければその時代の行動の意味が分からないから知るというだけのことだ。当然、それが正しいとか正しくないということまでは言っていない。そこは個人に委ねられている。時代時代の考え方の一つとして教えることと思想統制を混同させ、これを思想の強要のように伝えるメディアはヤバい。

 

明治以降、教育勅語という考え方によって国家が動いてきたことは紛れもない事実であり、これを知らなければ当時の行動の意味が分からない。これはアメリカにおいて黒人奴隷が合法であったということを知るのと同じ単なる事実であり知識である。もちろん、これで黒人奴隷が良いことだったとか、悪いことだったとかそういう倫理については触れない。そこを現代的な観点(人道とか人権、現代の国際法)から述べてしまうと、世界中の国々すべてが悪逆非道の抑圧国家だったということになってしまう。だって世界中どこでも奴隷がいたし侵略は当然だったわけだから。

それに教育勅語がダメなら王権神授説なんかもっとヤバくなっちゃうんじゃない? ほら、民主主義なんか全否定だよ、王権神授説。なんでこんなもの教えてるんだろうね。

 

教育勅語ももう歴史的遺物だけど、うちの昭和2年生まれのばあちゃんが教育勅語を全文暗記しててスラスラ言えたのはビビった覚えがある。まあ軍人の娘だからそういうのには厳しく教育されたんだろう。そういう意味じゃ歴史というのは途切れず続いているものなんだなあと感じさせられる。