相互扶助は単なるユートピアではない

頭がお花畑すぎてワロタwww

一夫多妻制を凌駕するネオ概念「一夫八百万妻制(通称『やおよろぷ』)とは何か。 - いばや通信

 

すべての大人が誰の子供でも面倒を見る明治以前の農村共同体を夢見ているのかもしれないが、今みんなで子育てとやってもすぐにトラブル続発で痛い目を見るだけだろう。

 

昔は個人という概念がなく、村全体で大きな一家族という認識だった。これは村まるごとで協力していかないと生きていけず(個人では生きていけない)、村の外にも逃げ場がなかったからである。だから相互扶助も発達した。しかしそれは、村の都合、集団の論理が優先された結果なのである。

 

相互扶助が徹底しているというと、お互いを思いやるユートピアのように思えるが、実際は個人の自由のない相互扶助が強制される世界なのだ。ようするに、村(共同体)のやり方以外の個人のやり方が認められない世界である。共同体の認める相互扶助のルールに反して、個人的な考えで動こうとすると罰を受ける社会なのである。

 

考えてみるがいい。今みんなで子育てをしようとしたとき、具体的な細部で個人ごとにやり方、考え方は当然違ってくるだろう。たとえば子供が泣きだしたとき、おしめを変えるとき、食事や消耗品の扱い等、具体的にどうするのか。多くの人たちが共同でやるならば、細かいルールがいくつも必要になってくるだろう。

もちろん意見が対立し、そのルールのやり方は受け入れられないということも出てくる。昔の相互扶助が徹底していた時代とは、そうした個人の意見を認めず共同体のルールを優先していたから成立していた世界だったのだ。しかし個人主義が発達した現代では、単に個人個人が物別れで終わるだけである。

 

相互扶助が徹底されるためには、その共同体のルールが何よりも優先されるという各個人の承認がなければならない。そうでなければ空中分解するか、美味しいとこ取りして責任を果たさない人、逃げる人が出るだけで終わるだろう。