子供を作るか作らないか、この場合の問題の本質は公平感にある

円満夫婦ですが子供はつくりません - 『かなり』

個人の自由と社会規範の対立ってのは昔からあることだけど、社会規範がなぜあるのかということに無自覚だと、個人の自由を侵害されたと被害者意識でいっぱいになっちゃうのよね。

 

そもそも社会規範というのは誰か偉い人が思いつきで定めたことなどではなく、大多数の人が要請するから社会において規範となったのである。当たり前だが、子供が完全にいなくなった社会は簡単に滅ぶ。現役世代がいなくなっていくと税収も年金も生産もすべてなくなっていくので、高齢者から悲惨な死を遂げることになる。そうなってはいけない、子供が減りすぎると悲惨な未来しかないということは誰でも分かるので昔からある程度の子供は作ろうという社会規範が了解されてきた。

 

もちろん社会規範だけが生きるすべてではないし、社会規範は抑圧として働くこともあるので個人の自由との兼ね合いも大事だ。どこまで全体を考えるべきか、どこまで個人の自由を認めるかは一概に言えない問題である。

 

しかし子供を作るか作らないか、この場合の問題の本質は公平感にある。ようするに子供を作れば、やがて子供は成人して生産したり納税したり年金払ったりして、国民みんなを養う存在になるのだ。一方、子供を作らなかった人はそういう国民みんなを養う存在を作らなかったということになる。言い換えれば、他人の子供が生み出す恩恵だけを受けているという状態になるのだ。だからそこに不公平感が生まれ、子供を持たない選択に対して批判が生まれる。

 

多分一番いい問題解決法は、子供をあえて作らなかった層に対しての「年金、福祉、国家サービスの割り当て減額」、もしくは「子供なし夫婦に対する徴税」である。

 

人間、与えられるものは当然と思っているので感謝もコスト意識も薄れがちだ。だが考えてみれば、税金がなければマトモに息をすることも道を歩くこともできなくなるのだ。これは大げさな話ではない。国家が環境に使う金がなければ大気はあっという間に汚染され喘息まみれだし、全国どこにでもアスファルト舗装があるから快適に歩けるのである。もちろんこれらのものはタダで勝手に生まれはしない。我々は日々、税金を吸い、税金を踏みしめながら歩いているのだ。だから、その税金の源泉になる子供を作らなかったものに対して、何らかのペナルティが求められるのは自然なことなのかもしれない。