人々を結びつけるコミュニケーションというと聞こえがいい

タブー視される日本の性教育 今のままで良いか? - Yahoo!ニュース

性教育はけっこうなことだが、この手の教育者は一番大事な前提に口を噤んでいる。それは結局、「高校生以下がセックスをしていいのか、ダメなのか」ということである。

 

そして教育者たちは暗黙の了解として「知識を得るのはいいけれど、高校生以下では実際のセックスはしてはいけないこと」と無言の圧力をかけている。だから堕胎映像のようなセックスに恐怖感や嫌悪感の湧くものを重視する。

もちろんセックスに伴うリスクを教えることは大事だが、実際のセックスを鼻から無視していては清教徒的な過剰な潔癖症しか育たないのではないだろうか。そして結局、子供たちはAVでセックスを覚えるだけだ。だから少なくとも、教員同士の実際のセックスでも見せてやって、セックスに伴う愛情やら楽しみやら、お互いへの誠実さ、避妊やリスクやらを目の前で教えなきゃダメだよな。

 

教育者たちはもうハッキリ言えばいいのだ。「セックスをするのも自由だが、自己責任でリスクも負うこと。望まぬ妊娠への対処法は教える。必要ならピルでも処方する」と。こうした方が、大学に入って望まぬ妊娠するアホが減っていいだろう。

 

まあぶっちゃけ個人的には、生徒たちの希望者には大人がセックス相手になってやって脱童貞、脱処女ぐらいさせてやって、実際のセックスがどういうものか経験させてやらなきゃ、頭で理解するのは無理だと思うな。酒や運転を本で理解したつもりになって、実際やってみて急性アル中や事故で死んだりする若者が後を絶たないが、性も含めこういう危険なものほど、大人が大人の責任として実地で教えていかねばならないものだと思う。

 

明治以降に輸入したキリスト教貞操観念とかメンドクサイものがなきゃ話は早いのだが。処女性が清らかなものであるというのもバカな話だ。処女、童貞は単に未熟なだけだし、セックスは一つのコミュニケーションにすぎず、経験が多いからといって穢れるわけでもない。

それにしても、人々を結びつけ喜ばせるセックスというコミュニケーションが、なぜこんなにも人々を傷つけるコミュニケーションになってしまったのだろうか。今の性教育は、いかに傷つくことを避けるか教えるだけで、いかに喜びを享受するかについては教えないのが問題だ。