カンフル剤

都民ファースト大勝の意味合い - 山猫日記

これはなかなかいい分析。特に都民ファーストが、これまでにもあった「改革ブーム」と同様の、政策よりもスタイル重視のものであったというのはその通り。

 

特に地方政治だと国家観が不要だから、身近な問題(豊洲とか待機児童とか五輪とか)だけを八方美人的にやり、具体的な最終決定よりも「密室政治じゃないですよ、多様なやり方、案がありますよ」と新しいスタイルであると訴えることに専念するやり方で、「敵(旧来的やり方)」からどんどん票を食っていける。

 

そういう風にスタイルだけで戦うやり方は、登場は実に華々しいのだが、その後の失速もまた顕著だ。結局それは、具体的問題をあいまいに保留したり、中途半端な折衷案にしたりして、支持基盤を割るような具体策を最終決定しないことによる「改革の幻想」にすぎないものだからだ。

 

まあ、国民のほとんどは細かい政策などに興味はないので、必要なものは「改革の気分」だけで、実際の改革などは邪魔なだけなのかもしれない。みんな利益は欲しいけれど、代償はいっさい払いたくないもんね。

 

そして面白いのは、こうした「改革集団」と「自民党」は表裏一体の存在であるということ。人々が自民に飽きてきたら、こうした「改革集団」が現れ新しい気分を与えるけれど、結局気分だけで大したことはできないので、人々は失望しまた現実的な自民に回帰していくというループになっている。なんというか、大きなスパンで見るとこういう「改革集団」というものは、自民のためのカンフル剤であり、巧妙な自民の回し者にすぎないのではないかと思えてくるぐらいである。