もし新しい感情を発明するなら

人間は、計算だけでは解決できないフレーム問題を解決するためと、時間に対抗するために感情という計算ショートカットモードを生み出した。半不死のAIは悠長に問題解決のために計算することができるが、生命は有限の時間の中で、「結果的に間違いではないこと」によって問題解決を図らねばならないからだ。

 

それは例えば、目の前に肉食獣が現れたとき、風向き、太陽の向き、温度、湿度、樹木の有無、土の堅さなどなど、周りの環境のデータを大量に処理すればするだけ、逃げるのがいいか、戦うのがいいか、木の上に上るかなど、より適応的な判断がしやすくなる。

しかし、現実にそんなことをしていてはあっという間に肉食獣に食われてしまう。そもそも現実世界では計算すべきものが無限に近いほど多すぎる。では計算量を減らすために何を無視すればいいかと考え出せば、それはまた新たな計算量が必要になって計算量は減らない(フレーム問題)。結局また考えているうちに食われてしまう。しかも現実世界で「まったく同じ瞬間」というものは訪れない。毎回変わる状況の中で適応的に振る舞おうとすれば、生命はある程度の「決め打ち」をしないと生存できない。

 

だから生命に必要なのは計算をショートカットして、感情で「決め打ち」をする能力だ。一瞬で「恐怖」を覚えて考える前に逃走する。膨大な時間が教師となって生み出されたこの感情というモードは現在、人間の場合は大まかに5つある。喜び、怒り、悲しみ、恐怖、驚きだ。

原始にはもっと多くの感情があったのかもしれない。しかしそれは淘汰というチューニングによって絞り込まれた。生存に直結しないものは削られていった。

 

そうして人間の生存を可能にする感情だが、それは同時に人間の限界にもなっている。もし人間に新しい別種の感情が付け加えられるとしたら、それはどんな感情だろうか。それを獲得したとき、人間はどんな生き方をしているだろうか。少なくとも、現在の人間は新しい感情ということを想像すらできない。

 

何でこういうことを考えたかというと、AIが感情を獲得するとして、おそらくそれはAIに生存の必要性が現れたときだろうと思われるが、人間とは違う生存の形は、人間とは違う感情をもたらすのではないのかなーとか考えたから。