そんなことよりオナニーだ!(クリスタルボーイ

9条とリベラリズムの死 - 山猫日記

この記事を書いた人は頭が良くて好き。

 おおむねこの記事は正しいと思うのだが、さらに加えたい部分がある。それは自称リベラル派が「保守とリベラルの対立」という視点にこだわりすぎて自滅したことである。

 

例えば自称リベラル派は「女性の権利増進」はやっても「表現規制」はやらない。「表現規制」は保守のやり口であり自由の天敵だというわけである。それは「保守とリベラルの対立」という視点に基づいており、保守のやることは絶対悪であり両方やるのは矛盾という考え方だ。

一方、別の観点に立てば両者は矛盾なく主張できる。たとえばそれは女性の視点である。女性が働いたり子供を産んだり産まなかったりする自由を擁護する一方、母として子供にとって不健全な表現(ポルノや暴力表現)を規制しようとする視点である。こういうある種当たり前な、「保守とリベラルの対立」以外の視点を自称リベラル派は持ちえなかった。

この複数の視点というものはリベラルの好きな「多様性」の源泉になるものだが、「保守とリベラルの対立」に縛られた自称リベラル派は最初からそうした多様性を捨てていたと言えよう。

 

上記記事にある9条信仰はナショナリズムであるという言葉は慧眼である。自称リベラル派は改憲を戦前の軍国主義回帰とイコールで結んでしまった。それは保守イコール戦前の全体主義、統制社会というイメージに基づくものであり、「保守(戦前日本)と正義のリベラルの対立」という図式に持って行った結果、リベラルこそは正義であり一点の保守政策も容認してはならないという多様性の否定に向かってしまった。

 

現実的に考えれば保守だろうとリベラルだろうと、国防に武力は必要だということは当たり前であるし、どこの国のリベラルだって武力全廃しろという主張はしない。戦前日本の問題は武力のコントロールに失敗したことであって、国防のために武力持ったことではない。

しかし日本のリベラルにとって9条否定はイコール戦前日本の肯定であったため、このような簡単な問題の区分けもできず、非現実的な部分ばかりが争点になるというナンセンスな事態になってしまったのである。

 

そうして政策的柔軟性を欠き、現実性を欠いたことにより、日本の自称リベラルは勝手に自滅するしかなくなった。そして正反対に自民は、無節操にリベラル的政策も保守的政策も、現実的で人気と費用対効果があるなら何でもやった。自民が保守というのは幻想である。保守が女性管理職比率30%の数値目標を掲げるなどありえないことだ。もし本当に保守であれば女性は家事だけしていろで終了だろう。そこには豊かになるなら保守政策でもリベラル政策でもなんでもいいという無節操さしかない。

そうして自民は楽天的に、絶対悪を作らずにいい意味で無思想だったため、この「保守とリベラルの対立」という罠から逃れることができた。今後もリベラル的政策が実行されるとすれば、それは自民から以外にはありえないだろう。

https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20121126%2F15%2F1456285%2F360%2F503x340x582039bb2a15356e69920256.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=0&qlt=80&res_format=jpg&op=r