親の立場からしか考えない傲慢さ

選択的夫婦別姓への反論に反論します|青野慶久|note

この人は親の立場からしか考えてないなあ。子供の立場から見て、親と姓が違うことの違和感、嫌悪感とかあまり考えてないんだろうか。もし両親が異姓なのはいやだと子供が訴えたら同姓に変えてくれるんだろうか?

 

親と子が異姓なのは可哀そうだと親が思わなければ親と子が異姓でも構わないというのは、あまりに子供を軽んじた親側からの一方的な意見であると思う。夫婦別姓を推進するなら、少なくとも思春期以降の未成年者すべてにアンケートを取って賛成か反対か、つまり子供自身が片親と異姓でも構わないか調査すべきだ。

この点を調査した選択的夫婦別姓論者を見たことがないんだけど、不利な結果が出ることが明白だからやらないのかね?

 

少なくとも自分は親と異姓なんて嫌だし、片方の親を切り捨てられたような違和感が残る。これは片方の親の姓を切り捨てることを「強制」されるんだからね(男女が結婚するときも片方の姓を切り捨てるが、これは「強制」ではなく自由意思によるものである。これが嫌な人は結婚しなければいいだけだし、制度の恩恵は制度が守られることによって得られるメリットに依存しているので、このメリットが理解できず従わない人には恩恵を得る資格がない)。

 

また子供の名前をどうするかという問題も起こる。この記事にあるように両親の姓を合わせたものにする、たとえば鈴木さんと佐藤さんの子を「鈴木佐藤」という一つの姓にするといった案だが、これは孫とか次世代のことを考えていない。

次世代で「鈴木佐藤」さんと「田中山田」さんが結婚したら孫は「鈴木佐藤田中山田」さんになるのか? 姓が長くなりすぎて寿限無状態になってしまう。さらにどっちを先頭にするか「鈴木佐藤」なのか「佐藤鈴木」なのかといった問題も起こる。男女どちらの姓を先頭にしても男女差別だの不平等だの言われちゃいそうだしな。

 

河童みたいに子が親を選べるなら選択的夫婦別姓でもいいかもしれんがね。芥川は偉大だな。もし夫婦別姓をやったら数世代でピカソの洗礼名みたいな長い名前になっちまいそうだ。

ピカソの洗礼名。

パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ