通過儀礼と残酷さ

「ある進学校の異常な風習」が終わらない理由 - いつか電池がきれるまで

戦場のメリークリスマス」で出てきた英国名門校の新入生イジメの伝統エピソードを思い出すな。デヴィッド・ボウイ演じるセリアズ少佐はこの新入生イジメで弟を見捨ててしまったことをずっと悔いていて、もう大切なものを見捨てないと作品中で重要な決断を下す。

元々、通過儀礼というものは残酷なものであるが、それは人が生きぬくときに避けえない残酷さを模倣したものだからである。そしてその残酷さを通過したものでなければ共同体の成員としてお互いの承認を得ることはできない。

 

もちろん形骸化した無意味な残酷さが許されるはずもないが、そうした通過儀礼を廃したところで残酷さが世の中から消えてしまうわけではないことには注意しなければならない。だがまあ、少なくとも通過儀礼に関してはどんどん消滅していくのでそこまで心配することはないだろう。資本主義はあらゆる共同体を解体していき、単なる契約やお金の結びつきに変えていくのだから(もう企業はおろか家族ですら解体されかかっているのだからね)。