ファシズムはごく当たり前の善や真面目さとして人々に浸透する

私が大学で「ナチスを体験する」授業を続ける理由(田野 大輔) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

パクリしかできない先生は自分で考えないので底が浅い。だからサクラを使わなきゃいけないし、「集団の力の実感」「責任感の麻痺」「規範の変化」といったファシズムの特徴も、何か特別な非日常としてしか体験させられない。ファシズムの一番の恐ろしさは「ごく当たり前の善や真面目さとして人々に浸透するところ、すでに浸透しているところ」である。ファシズムを非日常として描くだけでは本質に迫れない。

 

ちなみに元になった映画はコレ。実話を基にした作品でもある。今さらマネるなんて、やることが40年は古いんだよね。

解説・あらすじ - THE WAVE ウェイヴ - 作品 - Yahoo!映画

 

そして、この実験のようにわざと衣装統一して大げさな言葉づかいをするもの、右翼的なもの、ナショナリスト的なものだけがファシズムなのだと学生に誤解させるようなものはかえって危険である。

この程度の「集団の力の実感」「責任感の麻痺」「規範の変化」は、じつは全国どこの体育会系の強豪部活でも見られるようなありふれた日常である。じつはファシズムは普通の人々の普通の日常にすでに組み込まれていて誰でも見たことがあるのだが、そのことに人々は気づかない。

 

日大アメフト部を見てみるがいい。チームの強さという「集団の力の実感」、監督の指示だから、チームメイトみんなやっているからという「責任感の麻痺」、反則で相手をけがさせてもいいという「規範の変化」、もう典型的なファシズムだ(スポーツなので衣装統一は当然あるし、他チームへの優越感や憎悪も当然あるだろう)。

 

他にも愛社精神を育む新人研修は優秀なファシスト養成機関である。激しい叱責で自らの価値を否定させたあと、集団の価値観(売り上げを伸ばすとか仲間とか)を叩き込み、集団の価値観に従えば個人の価値も向上するというエサ(やりがいの悪用)で個人を集団に従順で熱狂的なファシストに育てるのだ。

またこれも特別な一社だけではない。かつて「愛社精神を育む厳しい指導、イジメ」など全国に溢れかえっていた。エリートでも、いやむしろエリートの方がそうした気風があった。現代でもエリート職ほど社や仕事に忠誠を尽くしたあげくの過労死が多い。

殺害された餃子の王将の社長、厳しすぎる店長研修の実態 - YouTube

 

さらに言えば、改革を志すようなリベラルや平和主義でさえも容易にファシズムに飲み込まれてしまうものである。あさま山荘で仲間をリンチ殺人した人々だって、「みんな平等な社会」を目指した理想家であった。社会をより良くしようとか、差別はやめて平等にしようという「ごく当たり前の善」ですら、「集団の力の実感」「責任感の麻痺」「規範の変化」によって容易に狂気に屈服してしまう。そうした事実は、毛沢東紅衛兵たち、ポルポトといった大量虐殺者、文化破壊者が証明している。

 

これは現代でも「政治的に正しい言説」がしばしば抑圧的、攻撃的であり、支持者が熱狂的、盲目的態度でいることにも繋がる。左翼的言説であればファシズムから逃れることができる訳でもないが、そのことをこの先生は理解しているんだろうか? 

 

また自分は以前にこういう記事も書いた。

The third wave - Ohumigarasu’s diary