特権的セクシャリティの崩壊

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これは面白い。テクノロジーがどんどん進み、これまで持つことができなかった異性の価値や美点を得ることができるようになっていった未来はどうなるか示唆している。

 

当たり前だが、これまで女は女の、男は男のセクシャリティしか楽しむことができなかった。たとえば「女の可愛らしさ」は女が特権的に持つ価値であった。そうした特権的な価値を「女でない者が持つ」としたら、その世界では何が起きるのか。

 

そこでは「女よりも女らしい可愛らしさ」が発生し、それに対し「女が嫉妬」するのはもちろん、「男もその可愛さを得ようと嫉妬」するという面白い事態が発生する。人々はどんどん実在性(実際の肉体)からデータだけの概念的なものになっていき、そこでは簡単にデータの取り換えによってセクシャリティも新たなもの「女よりも女らしい何か」が生まれていくのだ。

 

しかし実はこういった事態は大昔からあるものである。歌舞伎の女形、京劇の女形は役者の意地を賭けて、実在性を超えた演技の可能性を追求してきた(宝塚の男装もそうなのかも? こちらはよく知らない)。少なくとも、そうした存在は役者の自己満足ではなく、広く大衆に支持されたからこそ現代にまで残ったのであろう。女形を見て気持ち悪いとか性的倒錯だという人は少数派であったのである。

そうした可能性は今後もどんどん先鋭化していくことだろう。

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