狩猟採集民と利他的社会のメモ

人間関係がダンバー数を越えると「共有地の悲劇」が起きる。利己的社会になるというわけだ。逆に言えばダンバー数を越えなければ利他的、互恵的社会(コミュニティ)は築かれ得る。

これは私有が成り立たない低生産性の社会、私有しようと独占すると排除される程度の規模の社会であり、だからこそお互いの資源を惜しみなく分け合う社会である。この代表格は先史時代の狩猟採集民であり、一般的には農耕により私有が成立した後には成り立たないとされる。

ダンバー数 - Wikipedia

コモンズの悲劇 - Wikipedia

もちろん利他的、互恵的社会も楽園ではない。それは相互監視社会でもあるのだから。それは田舎の村のようにすぐ噂話が広まり、その社会の規範に馴染まないものは排除される社会である。とはいえ、こういう社会は規範に則っている限り、ストレスの少ない社会である。みんな同じぐらいですべてを分け合うのだから。

 

現在、子育ての負担に不寛容な日本社会が問題となっているが(すぐいなくなる女性医師、およびその予備軍学生は使えないので排除という問題)、資本主義社会にあって不寛容なのは当たり前である。なぜならば他人の子供を世話しても人々の直接の利益、ミクロな利益にはならないのだから(マクロな視点では少子化解消といった利益があるが、個人にはまったく実感できない)。

まーやっぱ、本当に子育ての負担を人々に平等に負担させるためには、セックスの機会が平等にあって、父性が曖昧、もしくは父性が共有化されるような、父親が複数いる社会、母親が複数いる社会でないと無理だよな。

 

違う言い方をすると、「我々の集団は厳しい生存圧に晒されていない」とも言える。集団が本当に厳しい生存圧に晒されれば、人々はよりミクロな集団に移行し自然に利他的、互恵的になっていくだろう。