日本最後の奴隷制こと天皇制

戦争責任「言われつらい」 晩年の昭和天皇が吐露 (写真=共同) :日本経済新聞

こういうことを言うと左翼右翼両方から文句を言われそうだし、政治的な面倒さに足を突っ込むことになるが、あえて書こう。

天皇および皇族は日本最後の奴隷である。生まれた時点から何の自由もなく、一生国民への奉仕を義務付けられている奴隷である。そして日本に絶対必要な存在である。

 

なぜこのような奴隷制度が現代でも必要とされているのかというと、それだけ国民統合の象徴の威力が絶大であり、国民統合の象徴、つまり『権力なき権威』を生み出すことが困難だからだ。

 

多くの国は人種、部族、宗教、思想、言語などで内紛を抱える。これは日本人からすればあまり考えられないことだが、例えれば津軽弁と薩摩弁の違いで争ってるような国というのは多いのだ(戦国時代以降、日本では血で血を洗う内乱がないので実感しにくいが)。

 

そしてこれらの対立を乗り越えようとするとき、一番都合がいいのはみんなが認める『権力なき権威』である。時代に合わせてコロコロ変わり特定勢力につく権力ではなく、一貫して存在しみんなと同じ根本要素を持つ『権力なき権威』が命じるからこそ、内紛相手は違う部分も大きいが、根本要素は同じ部分があるのである程度で手を打とうということが可能になるのだ(タイはクーデターが頻繁に起こるがタイ国王という権力なき権威が仲裁するのでクーデターも形式化していて致命傷にならない。一種のストや直訴のようなものである)。

 

たとえば明治維新は敵対勢力を根絶やしにするまで何十年も続いてもおかしくはなかったが、あれだけあっさり落ち着いたのは『権力なき権威』あればこそである。もちろん『権力なき権威』は時の権力の意に沿うのであるが、敗れた側も「同じ根本要素を持つ」者として、つまり根絶やしにする者ではないと『権力なき権威』が認めるので時の権力もそう無碍にはできず(そもそも民衆が『権力なき権威』を尊重するので無碍にできない。そしてどっちが勝った負けたが、権威を手に入れることですぐ鮮明になり泥沼にならない)お互い絶滅戦争をせずに交渉もできるのだ。そしてこれは、勝者と敗者が入れ替わったときも同じように働くので、お互いダメージの方が大きい絶滅戦争をせずに済む大きなメリットがあるのだ。

 

そういう意味で日本においては天皇制という奴隷制度が必須である。アメリカのようにみんな平民でいいじゃないかという人もいようが、アメリカは想像以上に各種対立のひどい国である。人種、宗教、思想、北部と南部、古い移民と新しい移民の対立など、みんな「同じ根本要素を持つ」者としての意識が薄くなりがちだ。だからアメリカ人としての規範よりも「白人としての規範」や「イスラム教徒としての規範」などが優先されることが起こり国内対立に拍車が掛かっていくのである。

 

国という制度はどんな制度であっても、犠牲なくみんなハッピー平和平等だということはあり得ない。そういう意味では天皇制という非常に犠牲が少なくて済む制度は優秀だと言えるだろう。だからこそ、犠牲を甘んじて受ける天皇陛下および皇族には敬意が払われなければならない。