男らしさが死滅した世界

〈特別編〉我が家のジェンダーフリー教育 | mama+(ママタス)

男らしさが死滅した世界で屈強なチンピラに絡まれたカップルの男女はそれぞれこう言った。

 

男「自分らしさが一番! 男が女を守るとか古臭いジェンダー俺には似合わない! 俺は自分らしく逃げ出すよ! 女も自分らしく戦うか逃げるか好きにしてね! これなら男女同権でそれぞれ自分らしくでいいだろう? 後のことは自己責任でよろしく!」

 

女「おい男、ちょっと待てや! お前は男なんだから私を守って死んで来いっちゅーの!」

 

うん、私らしくが万能の世界では、みんなそれぞれ自分に都合のいいことしか言わなくなっちゃうんだよな。

昨今は私らしさが全てを解決するかのような幻想が流布しているが、実は私らしさという新たな呪縛に陥っているだけであり、ジェンダーの有効な側面にも気付けないでいる。

というのも人間、私らしくないこともやらねばならない時があり、そういう時は大抵緊急時であり、そうした時に指標がなければ人々は混乱し、より大きな被害が発生してしまうからだ。

 

分かりやすいのは先に挙げたように理不尽な暴力に直面した時だ。男の中にも争いが苦手とか腕力がないとか、荒事は私らしくないと感じる人はけっこう多いだろう。自分一人なら荒事は私らしくないで殴られればそれで済むが、女性を含む多人数だった場合どうするのか? それぞれ自分らしくで逃げたり戦ったり混乱した挙句、女性はレイプされても自己責任で済ますのか?

 

そして極端なことを言えば、私らしくが絶対になった社会では、男だってわざわざ危険なことはしたくないから誰も兵士になりたがらず、早晩その国は滅んでしまうだろう(フェミニストはあらゆる社会的に重要なポストで女性比率を50%にすべしと叫んでいるが、重要なはずの兵士だけは50%女性にしろとは言わない)。

 

ようはジェンダーは抑圧や義務だけの存在ではなく、同時に危機や日常に対する効率的なひとつの回答でもあるということだ。もちろんジェンダーは恣意的な部分が多く、現在の社会、経済にそぐわない非合理な部分も存在するので、そこは使える部分だけ使えばいいだけのことである。

大事なのはジェンダーを盲信するか、私らしさを盲信するかではなく、現実的な危機に多くの人が対応できるロールモデルが存在するかどうかなのだから。

 

そして新たに生まれたロールモデルも抑圧を孕むだろう。しかし人が社会を作り効率的に物事に当たろうとする以上、その抑圧は社会が払うべき代価なのである。

(社会は人々を金型にはめていかないと効率的に回らない。私らしさなど一言で言えるものではないし、他人からはどのようなものか分かりにくいので、出会う人と何かするたびにイチイチその人の私らしさを確認し、失礼がないかとかハラスメントに当たるかと確認をしなければならなくなってしまう。それと比べたら男はこう、と決まっている社会は抑圧的かもしれないが圧倒的に効率がいい。もちろんそれはそれで問題がある社会ではあるが)。