世界で一番冷たい国の冷たい誇り

2018年度の世界寄付指数において、日本は144ヶ国中、142位というぶっちぎりほぼ最下位を獲得したという。しかし世界一冷たい国、日本には日本なりの冷たい誇りがあるのだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%AF%84%E4%BB%98%E6%8C%87%E6%95%B0

ここにはなかなか巧妙な罠がある。それは欧米のような寄付、慈善が基本文化となっている国では、税制優遇などで寄付、慈善をする方がお得な制度になっていることが多いからである。また、イスラムでは喜捨は義務である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88

 

たとえば米国は寄付大国であるが、米国では慈善事業に寄付をすると税金の控除を受けられる。いわば一種の経費のように処理できるということだ。

しかも寄付先は選べる。キリスト教徒がイスラム教系支援団体に寄付しないように、自分が有利になる寄付先を選べるのだ。一番分かりやすい例で言えば、自分の子供が通う学校に寄付をすることである。もちろん子供はこれで非常に有利な立場になる。

これで税が控除されるのだから、慈善どころか金持ち優遇制度ですらある。

http://ohumigarasu.hatenablog.com/entry/2017/10/17/070420

 

一方、日本では寄付や慈善にあまり関心がない。西洋やイスラムの影響が少なかった日本では、なるべく人に頼らず、自助努力をすることが重視される社会になった。

西洋、イスラムの価値観が強く反映された世界寄付指数で日本がほぼ最下位であるのも当然であるが、だからといって悪というわけではなく、これは文化の違いであり、日本のある種のプライドなのである。

 

それは「施し」を嫌う貧乏人のプライドである。たとえ恵まれずとも乞食ではないというプライドであり、それを周囲も尊重するからこそ施さない。何か必要な時は、必ず一方的ではない「助け合い」を行う。そうすることで対等な者同士と認め合っているのだ。

 

近年では「自己責任論」が冷たい悪であるかのように語られることが増えたが、私は「冷たい日本」こそを誇りに思う。私たちは対等な者同士であるから施しなど決してしないし、求めない。だからこそ、私は再びこう言う。

 

助けてもらいたいものは、ただ「施し」を待っているべきではない。弱者は弱者なりに何か提供しなければならない。何も差し出さず、不機嫌そうに「もっともっと」という弱者に何かしてやりたいと思うか? お互い何かを提供しあって初めて社会は全体が豊かになるし、弱者は弱者を脱することができる。

 

そうでない社会は、弱者はいつまでも弱者のままで「施し」を待つしかない存在だろう。そう、「施し」のある社会とは貴族がさらに栄えることを前提としているのだ。